Tamamushi Satoko

by Tamamushi Satoko

10月25日から11月21日まで、4週間にわたるハイデルベルク大学東洋美術史研究所における冬学期の日本美術史講義と演習を終え、先日、日本に帰国しました。ここに、この間の経験と帰国後に考えた事柄を四つの視点に分けて述べ、ご報告申し上げます。

○講義および演習についての学生の反応

今から30年余り前に、日本で日本人の教師から日本語で日本美術史を教授された世代に属する私は、諸外国から日本に留学する学 生に出会い、何人かの友人を得ていても、知らず知らずに辺境地域の特殊な造形の歴史として、日本美術史を捉える習癖を持っていたようでした。ところが、今 回、講義や演習に参加した学生の出身地は、ドイツはむろんのこと、ロシアや中国など幅広く、それぞれに日本美術に対して興味を持ち、自分なりに学ぼうとす る姿勢をもっていました。

ロシアからの留学生は日本に留学経験を持ち、日本語も堪能で美術史の知識を増やすことに懸命で、私の授業をよく助けてくれまし た。中国からの留学生はすでに中国の文人画家、董其昌研究で博士学位を取得していましたが、まったく日本美術に関する知識をもっておらず、パワーポイント を用いて示された日本の装飾的な絵画、とくに金銀の截金を多用した平安仏画の優雅で耽美的な世界に深く印象付けられ、さらに平安絵画が中国の唐美術を受容 し、その取捨選択によって展開したものであることを指摘されたことで、日本を含めた東アジア美術に歴史について初めて視野を広げることになったようでし た。西洋美術を専攻するドイツの学生も、日本の近世の事例をいくつか投げかけると、バロック美術などと関連づけて反応してくれ、日本美術がけっして閉じら れた特殊なものではないことを気付かせてくれました。
外国において日本美術を教授するということは、このように単に知識の供与に留まらず、日本人教師にとっても学生にとっても、それぞれ出身諸地域における文 化的な伝統を自覚させ、その上で互いに共有されるもの、理解しうるものの多いことを発見する最良の機会であるように思われます。自ら特殊と決めてかかる前 に他者に語りかけ、ともに考える経験を積み重ねる姿勢の重要性を痛感し、そうした蓄積によっていずれは世界の諸造形と同次元において、日本美術を語れる将 来が開かれていくのではないかと考えた次第でした。

○図書室の蔵書の整備について

ヨーロッパ有数の東洋美術研究の拠点であり、各地の日本東洋美術の美術館・博物館に人材を供給しているハイデルベルク大東洋美 術史研究所だけあって、図書室の蔵書はよく整備されていました。とく日本の大学研究室と比較して美点を挙げれば、同一分野について日本語以外の言語によっ て書かれた著作物も一緒に書棚に並べられることが多く、自然と国際的に研究の位置付けがなされるように環境が整えられていることです。今回もまたそのよう に感じ、同じ分野を学ぶ日本の学生に比べて視野が広がる機会の多いことに羨望を抱きました。但し、ごく最近、日本で刊行された出版物についてはやや不足し ており、また学術書と一般書の区分けが曖昧であることで却って、平易な日本語で書かれた初心者向けの美術書の多い日本の出版状況を考慮して、そうした本の 蔵書も増やす方針をもってもいいのではないかと感じました。授業でも参考書として最近の一般書を入門書として用いましたが、日本語のできる学生の評判もよ く、一式を寄贈してまいりました。今後も日本から派遣される研究者や教員はそうした状況であることに留意して、図書室の整備に協力していくことが望ましい ように思います。

○ケルン市東洋美術館での調査旅行

大抵の日本の大学での日本美術史教育と同様に、ハイデルベルク大でも、メラニー・トレーデ教授の指導のもとに、ケルン市東洋美 術館での特別観覧旅行が計画されました。私も調査研究に充てた一日に参加しましたが、学生たちは事前に割り振られた担当作品について予習をし、作品を前に してその成果をドイツ語で口頭発表するという恵まれた指導を受けていました。日本では一部の有力な大学を除いて学部生はほとんど実物調査の機会がなく、そ のことが一般に日本美術への関心を低めている要因のひとつではないかと感じておりました。その指導風景を写真に撮り、帰国後、武蔵野美術大学の学部生に見 せましたところ、大変にびっくりし、日本の巻物を扱うドイツ人の姿に強烈に印象付けられたようでした。そうした経験が日本の学生に何をもたらすのか、この ように貴財団のサポートで教師が派遣されることで、日本の学生にも「伝聞」というかたちで状況が共有されていくことになり、それもまた将来への布石として 役立っていくものではないかと思いました。

同館は本年創立百周年を迎え、ハイデルベルク大のレダーローズ教授を代表者として中国山東省で展開される石経研究の大プロジェ クトの成果である拓本およびディジタル画像の検索システムの展示、また江戸時代の摺物の展覧会などが開催されていました。前者は戦前の日本ならばともか く、現代の日本では起こしようも無い大計画ですが、その一端を目の当りにしたことは、世界が中国に寄せる篤い関心を認識するよい契機となりました。後者は スイスからの巡回展でもありましたが、日本ではなかなか見ることのできない作品も多く、外国人研究者が却って文学と絵画に相関性に注目することを興味深く 思いました。

トレーデ教授の配慮で、10月30日開催の百周年記念シンポジウムにも参加する機会を得ました。ヨーロッパの主要都市の美術館 の日本・中国を担当する学芸部長や館長によるコレクションの成立過程の紹介は、一面、日本美術が世界に開かれていくジャポニスムの時代を向こう側から語っ たものでもあり、ほとんど日本人が参加していないなかで英語を通じてこのようなシンポジウムが成立していることにやはり驚かされました。これを当然のこと として受け止めることのできるよう、視野を一層、広げる必要性を感じております。

○ベルリンでの調査、講演

客員教授として派遣されている期間はまた、ドイツの他の都市での作品調査の機会にも恵まれました。ベルリン東洋美術館において は、専門でありながら、なかなか調査の機会に恵まれなかった俵屋宗達画本阿弥光悦書「金銀泥絵色紙帖」の調査を敢行することができ、精査することで図版や 展覧会では不可能な技術上の問題についていくつかの知見を得ることができました。また、ベルリン自由大学での講演は、ハイデルベルク大学の学生向けに用意 していたテーマを膨らませたものを口頭で述べたものでしたが、日本美術の専門教員のいない同大においては、西洋美術を専門とする教員による反応が却って興 味深く感じられました。要するに、拙いながらも日本美術をともかくも語ってみることで何かが伝わっていくということの重要性であります。そうした反応を示 してくれる外国の研究者の度量の豊かさに感銘を受けるとともに、他方、そうした経験が私どもにおいても、日本美術を自ら狭隘な環境に閉じ込めないことにつ ながるのだということに意を強くしました。ここでも日本の近代陶芸に関心をもつ東欧からの留学生に出会い、ハイデルベルク大の留学生とともに、日本美術を 学ぼうとする諸外国の学生の意欲を私どもはきちんと受け止める責任があることを痛感しました。

以上のように、4週間という短い期間ながら予想以上の濃密な体験をすることができ、国際的な環境において、日本美術を研究・教育していくことの意味を改め て再認識する貴重な機会となりました。また、トレーデ教授が取り組んでいるCOEプログラム、”アジアと西欧の交流”の関連行事の音楽会にも出席する機会 がありましたが、COE は日本においても一部では取り組まれているとはいえ、地球規模の学際的研究の設営に圧倒され、かつ今後の方向性への指針を得たように思いました。

ところで日本では、大学教員が夏休みなどの公休以外の期間に数週間、海外出張することは大変に難しくなっており、私も芸術祭の 期間の2週間と特別講師の充当による2週間を合わせ、4週間を過ごすことができましたが、これ以上は限界であったと正直に述べざるを得ません。セメスター のさらに半期という短い期間でハイデルベルク大にとってはご迷惑であったかも知れませんが、日本の大学教員にとっては活用のしやすい利点もあり、短期であ ればこそ、経験の密度も高まる長所もあったようにも思います。今後派遣される先生方の参考になればと思い、私見を述べさせていただきました。

ハイデルベルク大に出張する直前の十月初めに久留米の石橋財団石橋美術館で講演させていただき、また東京のブリジストン美術館では、実家、玉蟲の一族を描 いた安井曾太郎「玉虫一郎一先生の肖像」を含む展覧会が開催されており、今回の客員教授派遣に対するご支援とともに、貴財団に対して並々ならぬ所縁を感じ ているところです。ここに深く謝意を表明し、貴財団の益々のご発展をお祈り申し上げます。

Verantwortlich: SH
Letzte Änderung: 04.03.2024
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